没入インタビュアーのオガワタカシです。
没入図鑑「仕事にハマる人々観察。」というYou Tubeを運営しながら、このブログでも没入人生のヒントを発信しています。
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没入(ボツニュウ)のすゝめ
「没入とは、心を打ちこむこと。」
没入人生=幸福と定義し、
日本の没入人口を1%でも増やすため活動中。
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もっと今を楽しみたい、今に集中したいという人に、
とっておきのアドバイスがあります。
それは、
終わりを意識することです。
試験の回答時間が残り1分と残り1時間のとき、
どちらが集中できますか?
先週、父が死にました。
たった1ヶ月で、当たり前に会話していた人が居なくなる。
高齢であること、数年前に病気をして手術をしていたこと、
そう遠くないでことは、もちろん頭にはありました。
が、いざ目の前に差し出されるとね。
死を身近に感じたこと。
15歳のときに母が病気で他界しているので、
身近な人の死の経験が初めてではないです。
でも10代の当時、母の死に対して悲しさや寂しさは大きく感じたものの、
人生観に大きな影響を与えたという感覚はあまり無かった。
今35歳の自分にとっての父の死は、大きかった。
死ぬこと自体はけっしてネガティブなことでなく、
「カラダを脱いで宇宙に戻った」という価値観を今の僕は持っているので、
悲観的なことと捉えてはないです。
どちらかというと、
「あ、そりゃそうだよな。本当に終わるんだよな。」
「動けること、話せること、居れることに終わりが来るんだよな。」
全人類が知っているこの当たり前が目の前に来たときに、
自分がここ最近探し続けていた答えみたいなものが見えたこと、これを分かち合いたいです。
「終わりの意識」が「今を楽しむ」につながる。
僕は正直、自分の終わりを意識できていませんでした。
今も本当に意識出来ているか不明です。
でも、親父の死によって、間違いなく強くなりました。
「自分にも終わりが来る、んだよね。」
「うんそうだよな〜、人って死ぬんだよなあ。」
ここ数日は、ふとした時にこの思考が浮かんできます。
親父の死を受けて、明らかに変化した思考があります。
「細かいことなんてマジで気にしてる意味がない」
「やらないこと、会わない人、気にしないことを決めるほうが大事や」
「苦手なものへの挑戦、我慢、耐えるとかマジでやめよう」
ようは、世の中のほとんどのことは「無視」するべきという考えに至りました。
時間が無限にあると思っているから、「一応これもやっとくか」「本当はあんまり興味ないけど、周りに合わせておくか」とかなるんだよなと。
終わりを意識していない、有限だということをわかっていないときに、
時間と思考の無駄遣いが多発するんだなと。
思っているより、人生ってそんなに時間の余裕は無いのかもしれない。
人生があと5年だと決まったら、何を無視しますか?
あと1年とかだと極端過ぎなので、あと5年。
だとしたら、今あなたが我慢していること、本当はやりたくないこと、関わりたくない人の中で何を無視したいですか?
執着を手放すとしたら、それはどんなことですか?
僕がテーマにしている、「没入人生こそ幸福」の視点でいくと、
何かに没頭するためには、=やらないことを決めることだ大事なんです。
行動の土台には思考がありますから、まず真っ先にすべきは、
「何を無視するか?」
周りの人の意見、メディアから流れる正解、世間の常識、自分の脳にへばり付いたプライド、自分の中から湧いてくる感情、
今日からのあなたは、何を無視して、何を大事にしますか?
あなたの人生には終わりが来ます、絶対に。
あなたは100%死にます、終わります。
明日が来たら、時間が減ってます。
今何をしますか?何をしたいですか?